コラム

言語

 人間って三通りあると思います。    
    ①ひとつは、忘れられたくない!
    ②もうひとつは、忘れてほしい!
    ③あと、忘れたい!
      もうひとつ、なにも考えていない
   
    いづれにしても自我の事ですよね なんと勝手な動物かと
    因みに、私は①でしょうかね   

 就職の内定した中国や他国の学生に日本語を教えています
    教えると言っても語学は門外漢で専門知識もありませんが、主にビジネス日本語を
      日々勉強しながら進めています。   

改めて、気づきましたが日本語って結構難しいですね。漢字・ひらがな・カタカナ。敬語
    それと、「あの~」「ちょっと」「えーと」etc  語彙も意味が判然としないものも多いです。
   
    そのような学習の中で学生からの率直な質問には、ハタと悩む事があります
    日本人からしたら常識なんでしょうが、気づかせてくれることも少なくありません。
    そして、自分で学習すると、「な~る」 ほど!と、全く「目から鱗」も多くあります   

 そもそも、日本語学習の目的は?と質問すると、就職して「困らない」ように・・・
    なんでしょうが、人間って 「困ること」も重要なんですがね。   

思うに!語学はその言語で話し、聴き、書き、考えられる、(夢に見る)ことが一連として
    行えることが基本なんでしょうね    

 これと反対に、まったく話せない・話さない いわゆる非言語コミュニケーションとでもいいますか・・これで十分ですよね。「話さなくて分かる」関係を大切にしたいと、私は思いますが 皆さんは?   

まあ、いくつになっても勉強ですね!!! 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
 
 
 

 

   

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卒業式

     この時期、6月は中国での卒業式が続々と行われています。
    私の拙い日本語を今年、日本で就職の内定した本科生・院生
    に教えています。その学生から送られてきたメールに感動しました
    それは武漢大学の学生からの6月22日大雨の卒業式の話でした
    前日から総勢10000名(本科生・院生含む)準備!そして
    当日大雨の中、学生達は傘をさしていたそうですが・・・・
    総長は2時間 傘もささずに祝辞を述べられたとのこと

    みんな、感動して聴いていたということです!
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Bukan2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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頤和園にて

2018春 頤和園にて                              

                    今を生きて咲き
                    今を生きて散る花たち

                    今を忘れて行き
                    今を忘れて過ごす人間たち

                    ああ
                    花に恥ずかしい
                    心にいたむ日々

                      引用(坂村真民)

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今の学生の特徴

「今の学生の特徴はありますか?」と質問されることがあります。

      

 この10年で変っことはたくさんありますが、最も変化したのは情報への姿勢です。今は、すぐに検索ができる時代です。授業で紹介した事例などは、興味があれば、すぐにスマホで検索できます。質問したら答えるまでの間に検索もできます。 

      

 情報なら、いくらでもある時代の中で、授業の役割も変化しています。

      

 そこで、今年の大学の授業では、学生たちの議論の時間をなるべく多くとっています。        

      

 中でも、自分達自身の活動を検証する議論は、学生たちの生の声が出て興味深いものです。

      

 その学生たちの議論でも、社会人の議論でも気になるのが       

      

 「それぞれ」・・・を答にすることが、よく見られることです。

      

  違う意見や対立がある時、複数の関係者が関わる時、「それぞれの考え方で???」というのを結論とする考え方を、少なからず見かけます。       

      

 確かに、無理して一つにならなくてもいい場面も多いのですが、「それぞれ」という結論が、「そうしておけば、面倒じゃないから」という理由でなら、注意が必要です。       

      

  これを、ボストンコンサルティングのイヴ・モリュー氏はTEDトークの中で、「チャンネル争いに、2つのテレビを置く解決法」と呼んでいます。       

      

 多くの組織で、社員が違うものを見たがり、その結果、それぞれのテレビ(ゴール)を設置する。 その結果、組織内の協力が弱まるのが、生産性低下の大きな要因だというのです。

      

  「それぞれ」は、一見、相手を認めているようで、自分と他人の間に線を引く思考です。       

      

 「それぞれ」だと面倒が減るのは、相手との相互作用を避けることができるからです。
         

      

これを、異文化理解の研究者ミルトン・ベネットは「最小化」と呼びました。       

      

 異文化に出会うと、先ず「違和感・拒否感」があり、その後、反発か同化を経て「最小化」になる。       

      

 自分を変えたくないがゆえに、自分とは違う意見を否定せず、それぞれと考える段階です。

      

 最小化を超えて、異文化の受容に行くには、相手の存在を通して自分の正しさを再検証し、相手のいいところを認め、自分が絶対ではないと納得する自文化の相対化が不可欠です。

      

 「それぞれ」は一見、他者を受け容れているようで、自文化中心は動かさないので、そこから協力は生まれないのです。

      

 この一年を振り返ると、世界でも国内でも色々なところで「それぞれ」が起きています。 自分の正しさを主張し、自分の考えを他者によって検証しない。相手の考えは相手の考えでしかなくスルーし、「自分たちはこうだ」と頑なに主張する。       

      

 どんどんと内側に目を向けて、相手が何を言おうが、世界の流れがどうだろうが、「これでいいじゃないか」「自分たちはちゃんとしている」と居座り、自らを検証しない。       

      

2つのテレビは「自分たちのテレビに自分の観たいものだけ観る」という状況を作ります。しかし、同じ時間に、別のテレビでは自分とは違う、自分には不都合なものが流れています。       

      

 それを無視するか、自らを検証する機会とし、他者と協力してより先に行くのか。

      

 「それぞれ」を超える対話の広がる年になってほしいと思います。

      

                           引用  広石拓司
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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それぞれ・・

「今の学生の特徴はありますか?」と質問されることがあります。
    この10年で変っことはたくさんありますが、最も変化したのは情報への姿勢です。今は、すぐに検索ができる時代です。授業で紹介した事例などは、興味があれば、すぐにスマホで検索できます。質問したら答えるまでの間に検索もできます。    
    情報なら、いくらでもある時代の中で、授業の役割も変化しています。
   
    そこで、今年の大学の授業では、学生たちの議論の時間をなるべく多くとっています。    
    中でも、自分達自身の活動を検証する議論は、学生たちの生の声が出て興味深いものです。
   
   
その学生たちの議論でも、社会人の議論でも気になるのが
    「それぞれ」・・・を答にすることが、よく見られることです。

   

 違う意見や対立がある時、複数の関係者が関わる時、「それぞれの考え方で???」というのを結論とする考え方を、少なからず見かけます。

   

確かに、無理して一つにならなくてもいい場面も多いのですが、「それぞれ」という結論が、「そうしておけば、面倒じゃないから」という理由でなら、注意が必要です。

   

 これを、ボストンコンサルティングのイヴ・モリュー氏はTEDトークの中で、「チャンネル争いに、2つのテレビを置く解決法」と呼んでいます。

   

多くの組織で、社員が違うものを見たがり、その結果、それぞれのテレビ(ゴール)を設置する。
    その結果、組織内の協力が弱まるのが、生産性低下の大きな要因だというのです。

   

 「それぞれ」は、一見、相手を認めているようで、自分と他人の間に線を引く思考です。
    「それぞれ」だと面倒が減るのは、相手との相互作用を避けることができるからです。
    これを、異文化理解の研究者ミルトン・ベネットは「最小化」と呼びました。

   

異文化に出会うと、先ず「違和感・拒否感」があり、その後、反発か同化を経て「最小化」になる。
    自分を変えたくないがゆえに、自分とは違う意見を否定せず、それぞれと考える段階です。
    最小化を超えて、異文化の受容に行くには、相手の存在を通して自分の正しさを再検証し、相手のいいところを認め、自分が絶対ではないと納得する自文化の相対化が不可欠です。
    「それぞれ」は一見、他者を受け容れているようで、自文化中心は動かさないので、そこから協力は生まれないのです。
   
    この一年を振り返ると、世界でも国内でも色々なところで「それぞれ」が起きています。
    自分の正しさを主張し、自分の考えを他者によって検証しない。
    相手の考えは相手の考えでしかなくスルーし、「自分たちはこうだ」と頑なに主張する。

   

どんどんと内側に目を向けて、相手が何を言おうが、世界の流れがどうだろうが、「これでいいじゃないか」「自分たちはちゃんとしている」と居座り、自らを検証しない。

   

 2つのテレビは「自分たちのテレビに自分の観たいものだけ観る」という状況を作ります。しかし、同じ時間に、別のテレビでは自分とは違う、自分には不都合なものが流れています。
    それを無視するか、自らを検証する機会とし、他者と協力してより先に行くのか。
    2018年は「それぞれ」を超える対話の広がる年になってほしいと思います。
                              引用  広石拓司

   

 

   

そうなんですよね、自分自身の検証から始めることが最重要ですね!
    Yes/NoO or 1)の簡単な方向にどうしても、流れる傾向が人間にはありますよね!
    自戒します                  20171231  Hiroshi Kawazoe
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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生きざま

清華大学の名誉教授(女性)96歳永眠

 92歳がん細胞発見、安楽死が認められていない国 しからば、自分の意志で絶食!

4日間で亡くなる 

本人いわく!

他に迷惑をかけない生き方、死に方が理想であると・・・

高齢と共に病気と死亡が向き合う 死ぬなら早く(死までの時間)、そうすることにより本人も楽で家族の負担も少なくなるからとの事。それには十分な準備が必要でもあると・・ 

昔は70歳が平均であったが、昨今は長生きできる環境が備わってきたこともあり私のような90歳でも元気という人が大幅に増加してきた。それならば70歳以降の生き方として

自分の出来ることは自分でする。そうすることにより、毎日が忙しくなり、自ずと有意義な毎日になる。

そうした中で癌細胞発見、余命数年・・・決断(断食による尊厳死)

2017年10月17日~

絶食 1目日:何も食べない・水も飲まない 2日目:水を少し飲む 3日目:お粥さんを少し 4日目 何も食べない トイレに(家族が) 

5日目:朝トイレ・夕方 安らかに永眠(2017年10月21日㏘6:00) 

 *知人グループの情報より           

考察:凄いですね、生き方?死に方?行動力?・・・ 果たして自分ができるか?

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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『菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論である

菊と刀  著者ルース・ベネディクト(Ruth Benedict)「日本人の行動パターンより」

 『菊と刀』はアメリカ文化人類学史上最初の日本文化論である。

日本に行ったこともなく、ここまで深淵に迫る考察は尊敬に値する。しかし批評も多く見られる。彼女を擁護するなら、引用「人間の行動の大部分は文化的に習得されたものであり、教育によって個人は自らの価値観と行動を新たに獲得できる。すなわち教育とは文化そのものである」ここの行は評価に値すると思います。

下記17冊の書物はいずれもベネディクトの「菊と刀」ですが、北京の大きい本屋さん

で見つけました。なんと・・これだけたくさん出版されているのですね!

Kiku

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間の性質と経済

私は毎日かならず、静かに研究し考える時間をとった。
経済活動の基本的な主体は人間である。人間はどのような性質を持っているのだろうか。人間の性質のうち変化しないのはどの部分なのか。人間が行動し学ぶとき、自由な意志で決められる部分はどこまであるのだろうか。私はこの疑問を持ちはじめて以来、常にこの点を考えてきた。人間の性質のなかでとくに重要なものに知性の水準があり、人々が生き残っていく為に必要な生計手段を獲得していくのにどこまで成功するかに大きく関係する。最先端の技術をもつ国では、労働生産性を長期にわたって年平均3%を超える率で高めていくことはできないようだ。イノベーションによって生活水準を高めていくペースとしては、年3%が限界のようなのだ。これが人間の知性の限界であるように思える。
わたしの仮説だが、情報技術が吸収されその活用方法が学ばれていったことから、インフレ率が低く、金利が低く、生産性が向上し、完全雇用が実現する状態が長期にわたって続く時期に入った可能性がある。現在の技術革新は深さと持続性において50~100年に一度のように思える。ルービン財務長官は政府高官が公の場で株式市場について論じるべきではないという意見だった。
理由は3つ、
①市場が買われすぎか売られすぎになっていることを確実に判断する方法はない。
②市場の力に勝つことはできない、論じても何も得られない。
③何を語っても裏目に出て、信用を失う結果になる可能性が高い

アラン・グリーンスパン わが半生とFR

 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 

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思うことあり!

山あいの団地のような広大な墓地の一角、今年はいつになく時期外れの10月にお墓参りをした。彼岸花が枯れ、お供えもカラスやむしの餌となり荒れ野原の様相を・・・いったいなにが供養の本質か?生きている人の気休めか? 子どもの頃、父・母に連れられていたとき、何も考えずに、汚れを水で洗い流し花をいけ、線香をささげ、生前大好きな御餅やお菓子・タバコ・お酒など供えてきた儀式。帰り際、少し離れて眺めるとなんと美しく清清しく、心も落ち着いて帰宅の途についた記憶もある、おもうことあり!彼岸の後しばらくしてから行って見ると、なあ~ンと 全ての花は枯れ、食べ物はカラスや虫が噛り付き、四方に散々させ、見るも哀れな墓団地になっていた。それからというもの、わたしの供養のスタイルは 体ひとつでタオルと石鹸でひたすら墓石をきれいに掃除することにした。・・・これって気持ちいいですよね? そう思いませんか。。。












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錯覚の科学

錯覚の科学(クリストファー・チャブリス ダニエル・シモンズ)

じっくり考えぬかれた科学分析が、もろさのある直感的判断をしのいだ例や、直感が科学分析にまさる証明にならないような例も、分析は直感より正確だという証明にならない。
直感にも効能はある。だが十分な裏づけなしに、直感には科学分析を上回る力があると喧伝されるべきではなかろう。すぐれた判断で大事なことは、どこで自分の直感を信じ、どこで直感に頼らずじっくり考えるべきか、心得ることである。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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